「科学者-実践者」モデルと「傷ついた治療者」モデル
カウンセリング
2020年10月6日
こちらで述べたように、カウンセラーを名乗りカウンセリングを実施する人たちは多くいます。その中でも公認心理師・臨床心理士という資格がもっとも資格取得の難易度が高くなっています。
しかし、こうした臨床心理士や公認心理師、あるいは産業カウンセラーといった実績や公的な背景があるカウンセラーと、そうではないさまざまな資格をもったカウンセラーとの間には、どのような差異があるのでしょうか。ここでは、両者の違いを「科学者-実践者」モデルと「傷ついた治療者」モデルという、二つの対比から説明してみたいと思います。
科学者-実践者モデル
臨床心理士の専門性の在り方を示す言葉として知られるのが「科学者-実践者」モデルです。これは1949年、アメリカで開かれたボルダー会議で採択されたもので、臨床心理士は、心理臨床の実践家であると同時に、科学者でなくてはならないとするものです。臨床心理士とは、一人で勘と経験に基づいて仕事をするのではありません。 最新の科学研究の知見を正確に理解して適用したり、自分の実践を客観的に評価できるように表して科学の発展に寄与したりする、そうした科学的な営みの相互作用の中で自分の専門性を位置づける必要があるのです。
こうした態度の上で働くカウンセラーは、自分の技術を科学的な根拠に基づいたものとして説明します。またそこで選ぶカウンセリング方法というものも、科学的なエビデンスに基づいて選択されるものとなります。
また、科学者-実践者モデルに基づくカウンセラーは、自らの絶対性を主張しない、ということも含まれます。科学的な態度とは、反証可能性、つまり自らの主張があくまで仮説的なものであり、それは新たな理論や証拠によってひっくり返る可能性がある、ということを常に認めるものであります。つまり、科学的なカウンセラーは「絶対」とか、「唯一の」とか、「隠された」とか、「〇〇は教えてくれない本当の・・・」とか、そうしたことは言わない、と言いえるでしょう。
傷ついた治療者モデル
科学者-実践者モデルと対比できるようなモデルとしてここで取り上げるのが、「傷ついた治療者」モデルと呼びうるような、カウンセラーの態度です。これは「かつて自分には〇〇という悩みがあったが、□□という方法で乗り越えた。あなたも私と同じやり方で乗り越えよう!」というような、カウンセラーの態度です。
科学者-実践者モデルが科学的なエビデンスに基づいて治療法を決定するのに対して、傷ついた治療者モデルはカウンセラーの実際の経験に基づいてやり方を選択します。いうならば、カウンセラーの経験や勘といったものがそこでは最も重要な要因として働くのです。
また、傷ついた治療者モデルでなされる治療は、カウンセラーの「物語」がどれだけ強固なものであるかによって決定されます。そのため、そうしたカウンセラーの治療は「絶対」「唯一」「本当」といった形容詞で彩られることが散見されます。治療成果は目で見える形で提示されるというよりも、カウンセラーの自信によって保証されるといいえるでしょう。
二つのモデルとカウンセラー
臨床心理士や公認心理師、あるいは産業カウンセラーといった実績や公的な背景があるカウンセラーは科学者-実践者モデルに基づいており、そうではないさまざまな資格をもったカウンセラーは傷ついた治療者モデルに基づいている・・・と言えば話は単純なのですが、現実としてはそうとは言い切れない、ということが言えるでしょう。
フロイト、そしてユングという、現代の臨床心理学に大きな影響を与えた治療者は(自身の認識としては違うでしょうが)傷ついた治療者モデルに立っているといえるのです。フロイトもユングも、中年を過ぎてから心理的な危機に陥り、それを乗り越える過程の中で独創的な心理療法の手法を生み出しました。これは「創造の病」と呼びうるものであり、そしてその心理療法の訓練課程の中ではこの過程をたどることが求められている、というのです。
いくら科学的な態度であるといっても、カウンセラーも一人の人間であり、その背景にはそれぞれの人生や経験、性格といったものがあります。それは否応がなく、カウンセリングの場に流れ込んできてしまいます。時にはエビデンスに基づいた治療法ではなく、相談者にとってよい影響を与えるものがそのセラピストの背景や人生である、そうしたことも十分に考えられます。
しかしそうはいっても、あまりにも独善的な主張をする人のカウンセリングは危険である可能性があります。そうしたカウンセラーは、カウンセリングがうまくいかないとき、それを自分の技術の未熟さや見識の甘さに求めるのではなく、相談者のせいにしてしまうかもしれません。 ただし、これは 実績や公的な背景があるカウンセラーにも、等しくあてはまることであると言えるでしょう。